おすしブログ

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祈らなきゃ

日付が変わる前に床に就いて、起きたら正午を過ぎていた。記録更新だ。記録してないけれど。

日曜日は儚い。勉強しなきゃと思いつつも手をつけられずにお風呂の時間になった。明日からまたちゃんと起きないといけない時間だ。

今日はキリスト教を解説してくれる本を読んだ。その本にはこういうことが書いてある。

キリスト教とは、人間と神が語り合いながら、人生の旅路を歩む宗教です」

「語る」とはここでは「祈る」っていう形をとると思うのだけれど、祈りの重要性がとにかく説かれている。要約する力はないからしないけれど、思ったことは、普段出来るだけポジティブに生きるために色んな方法を考えてきたけど、多くの人に通用するものではないなと気づいた。普段からぼんやりと生きづらさを感じている人は多いのだろうけど、その多くの人が求めているのはちょっとした慰めやアドバイスじゃない。だいたいが頭の中で分かっているはずだ。でもそれを実践できない。胸のざわめきは簡単には止められない。自分の人生を生きようねって言われた次の日から、新しい生き方をできるわけがない。結局ほとんどかわらない、いや全く変わらないのだ、即時的には。

飲んだらポジティブになれる薬が欲しいのだろう、究極的には。そういうのは身体を滅ぼすので使えない。自己啓発本を読んだ後数時間は無敵感があるかもしれない。しかし薄れていく。忘れていく。信じて、忘れないようにしなきゃいけない。でも本当は信じていない。

やはり己の苦悩は己しか理解し得ぬ。。という思いがあるのかもしれない。僕もそう思う節がある。だからキリスト教の本に手を伸ばした。仏教じゃなくてキリスト教なのはなんとなくカッコ良さそうだからです。

キリスト教はすごいなとやはり思った。実に上手にできている…。上から目線だけれど。歴史の重みもある。信仰が行き渡っている安心感、教会や神父が多く存在し、世間的に認められている。絶対に越えられないなって思いました。

「神」という存在の使い方が天才的だ。神は強力な思想だと思う。明日から神と語ろうと思う。祈らなきゃ。神様と友達になりなさいと書いてある。絶対に裏切らず、大きな心で持って本当に聴いてくれる、強力な友達。ほしーーー。

色々めんどそうだからしないけど、改宗してもいいなって思った。仏教がいやというわけじゃないけど、ただきっかけとして変えたいという。お母さんは反対ですって。クリスチャンになったら不都合あるんかな。日本でもそのうち流行ると思うんだけどな。宗教も自分で選ぶ時代。みんなもどうですか。

なんかやりたくなってきた。洗礼受けてぇ。洗礼受けたんすよって言いたい。なんかかっこよくない?神様、どうおもいますか?