おすしブログ

お寿司ブログではないです

この題は最後に書いた、以下の記事は読む価値なし!

焚火を眺めたい。

火に照らされているとなんともノスタルジックな気持ちになる。火は人間が最後に見る光景なのかもしれない。そういう趣がある。三途の川を渡るというが、本当は炎をじっと見て消えていくんじゃないかと思う。

ガブリエルガルシアマルケスという作家の「百年の孤独」という本がある。南米の作家で、話の筋はコロンビアの村の百年間を綴ったものである。かなり長く、登場人物も多く、アウレリャノ・ホセ、アマランタ・ウルスラと言った馴染みない発音の人物が並ぶ。当時小学生の私はかなりの読書家で、朝から晩まで本を読んで過ごすこともあった。面白い本のページが進むにつれ、終わってしまう悲しみに苛まれることもあった。だから分厚くて権威ある面白さが約束された本が読みたくて、書斎の本棚から「百年の孤独」を引っ張り出してきた。分厚く、装丁は古めかしく、中を開けると二段組でフォントが1世代古い。いまだにこのフォントは好きだ。全部これにして欲しいと思っている。時代は変わる。

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↑こんな感じのやつ。これはちょい大げさ。

結論から言うと「百年の孤独」を読み切ることは出来なかったし、得たものもなかった。半分も読んでいないと思うが…。ガブリエルガルシアマルケスノーベル文学賞を獲っている。巨匠なのだ。いつか獲りたいと思う。疲れた人の心を癒すような本を書きたい。書かなきゃ書かれない。今も無理やり書いている。書くことなんてないのに。というかなんでガブリエルガルシアマルケスの話が出てきたのかわからない。炎か。炎の話をしていたんだ。正直炎について語りたいことなんてない。ふとさっき炎みたいなと思っただけ。蝋燭の火がゆらついてるのは可愛いと思ってるけど、そこになんの哲学もない。

 

百年の孤独」の影響かわからないが、大学に入ってから小説を書こうとしていた時期があって、なんか高いキーボードを買ってこつこつ書いてたというなんとも香ばしい日々に、村の話を書こうとした。どこか日本じゃなさそうな村の話。なんか日本ぽくない儀式とか、食い物があるような。そんな儀式も珍しい果物も知らないから、空想で書くしかなく、書いていてこんなもん伝わらんと思ったし、何より、話をリアルにする作業のだるさったらない。

小説の技法として、風景の描写や細かい設定の記述はまずその世界を読者にできるだけ鮮明にイメージさせるためにある。風景とかに描きたい心情を代弁させるとかはあるかもしれないけど、それ以前に。主人公はどんな服を着て、どんな顔つきで、村はどんな大きさで、どんな家屋があって、どんな.…。

これを書くのが非常にめんどくさくて、そもそも村のイメージも構築されていないから、何かを参考にして、それの映像を文章にしなければならない。

小学校の鬼教師が計算ドリルの問題文(たかしくんはりんごを…みたいな)をノートに書き写させていたが、あのときの気持ちを思い出した。無駄だ。

無駄無駄無駄。話は戻って小説において、ものによっては参考文献がたくさん記されているものがあったりする。すごい根気だと思う。

村上春樹1Q84新興宗教について詳細に書いていたけど、あれはオウムしんりきょーとかのドキュメンタリーをやった経験がベースにあるはずで、あれを書くのに芸術性とは別に大変な苦労がありそうでなんだか読んでいてつらい。頑張って調べたんだなーって思ってしまう。でもそれが大事らしい。小説家は根気がいるそうです。

そういうのを取っ払おうとすると話が抽象的になるから読み手に自分の伝えたいことは伝えられない。けど自分の伝えたいことってなんだ?そんなもの常にあるのか?わからない。伝わらなくても読んで元気が出るならそれでいい、読んでるとき嫌なことを忘れるならそれでいい、と思っている。逃げですかね。

さらに話は戻って、その架空の村について書いた小説の筋はこうです。その村には10年に1度生る伝説的な果実があってその果汁を村長が飲むという儀式がある。(なんだその儀式は。何のためにやるんだ。10年に1度生る果実とか意味不明。ゆるして)

主人公の青年はその果汁に唆られ、盗み飲み(?)してしまう。それがバレてめっちゃ怒られて村から追放されてしまう。かわいそうに。そして20年後その青年はその伝説の果汁の味を再現したジュースを作って大儲けして、その村を開発するために戻ってきて森の木をなぎ倒し、自分の農園にしてしまう。みたいな話。なにも伝えたいことはないし。誰に読んで欲しいわけでもない。むしろ読まれたくない。じゃあなんで書いたんだって話です。書くのが楽しかったわけでもない。

 

炎の話はどうなったと今思った。まじで読みにくい文章を書いている。これは「意識の流れ」という高等テクニックを用いた文章なのだ!!

文章力がないだけだ。ちゃんとまとめると、炎見たいと思った。森の中の空き地で焚火が燃えている風景を思い浮かべた。なんか村の儀式みたいだな。村といえば「百年の孤独」って本があったな。あの本はノーベル賞だしなんか凄そう感あったな。なんか村の話書いたな。な。な。な。ここまでちゃんと読んだひとは、この情報社会の荒波を生きていくのは難しいだろう。取捨選択が大切なのだ。書くことないときに無理に書くのはやめよう。書くことあるなと思った時に頑張ろう。すみません。