おすしブログ

お寿司ブログではないです

24歳

気付けば2020年になり、24歳になっている。いつのまにか僕のことを先輩と呼ぶひとがまわりにいる。

これは個人的に驚くべきことで、中学は部活には励まなかったし、高校では部活に入りすらしなかったのだから。先輩と呼ばれるととても違和感がある。

彼らの「先」にいる感じはとてもしない。同じ線上ではないだろう。尊敬されたいという気持ちは当然のことながらあるけれど、尊敬されるような人間であることは向いていない気がする。自分は自分の生き方しかできず、それが誰かのお眼鏡に適うこともあれば、癪に障ることもあるだろう。

誰の癪にも障りたくない気持ちが優勢なので、あまり人にとやかく言うものでない、と言い聞かせている。

僕は中学受験をしたので高校受験はしていない。小学校高学年の頃から塾に行き、知らない小学校の友達と勉強した。結構楽しかったと今になっては思う。実家が三階建で地下にサウナがある女子が隣の席だった。成績で席順は決まり、その子がトップで僕がその次で隣になっていた時期がちょっと続いた。その子はノートに漫画を書いていて、三日に一度読ませてくれた。その漫画には女の子が1人と7人のイケメン男子が出てきたと思う。7人もいたか定かではないが、“なんとかセブン”とイケメン集団が呼ばれていた覚えがある。今思えば花より男子の影響を受けていたのだと思うけれど、お金持ちで色々お菓子くれたりしたので、沢山漫画を褒めた。素晴らしいことだと思う。

その子と同じ中学を受験したけれど、当日熱を出してその子は落ちた。もし熱が出ていなかったら受かっていたと思う。とても成績の良い子だったから。その子は滑り止めに進学し、2週間後に医師国家試験を控えているらしい。

その子にはもう12年会ってないことになる。その間沢山の出来事がお互いにあっただろうがそんなものは見えない。いまふと思い出して書いたけれど、特に思い入れがあるわけでもない。人間は自分も含めて人間について何も知らない。すぐ忘れてしまう。嫌なことは忘れられないというけれど、忘れてしまった嫌なことのほうが圧倒的に多いはずなのだ。

車に轢かれたことがない。目の前で友達が車に轢かれたのを見たことがある。アーチを描いて跳んでいった。大事には至らなかった。運転手はお金とお菓子とコオロギを彼にあげたらしい。彼の家に行くと、玄関の靴箱の上でコオロギがリンリンと鳴いていた。

京都に鈴虫寺というお寺がある。修学旅行の班行動で行った。もっと有名な所にいけばよかったが、その時は変な所に行きたい年頃だった。寺の中はうるさいくらい鈴虫が鳴いていて、坊主は説法の中で配ったモナカの中に鈴虫の脚が入っていると言った。冗談だと気づかず、どんな味がするんだろうと思って食べてがっかりした。鈴虫寺の御守りは願いを叶えてくれるらしい。僕は「頭が良くなりますように」とお願いした。家に帰って母に話すと、「中学受験を成功しますようにって言わなきゃ。あとちゃんと住所を言わないといけないらしいわよ」とちょっと怒られた。住所を言わなかったから、お地蔵さまは僕のところに来るのに手間取ったであろう。大学を再受験したときにちょうどお地蔵さんが到着したような気がする。なにせ数学の試験中に一旦埋めて、30分ほど祈りに費やしたから。あのときは間違いを見つけるのが怖かったからね。いまも間違いを見つけるのは怖いけれど。

そしてひさびさに文章を書くのは楽しかった。書き初めは死ぬほど億劫なのに。お題を与えられた方が書ける。そういう人は多いだろう。はてなブログにはそういうシステムもあるみたい。書いて欲しいことがあれば矢文で伝えてください。明日から1週間雨が続くらしい。嫌だな。カエルは嬉しいんだろうけど。じゃあいいか。この1週間は僕の分までカエルくんにエンジョイしてもらおう。けろけろ。