おすしブログ

お寿司ブログではないです

歯磨猿?

猫の写真家(なんて素晴らしい職業)として高名な岩合さんは「人間も野生の一部であるということを思い出させてくれる一番身近な存在が猫だ」(原文ママじゃない)と言っていた。なんと含蓄のある言葉。僕も猫の写真家になりたいな。

芸術(定義はさておき)に触れるとなんだかやる気が出ます。なんだか生きる活力が湧いてきたなと変だなと思って周りをよく見ると芸術が転がっているパターンも多いです。芸術的な人間を天才と呼んでいますが、久々に文章を書く気になるのも天才と巡り会えたからということです。自分勝手ですが天才たちには幸せになってほしいと思います。天才たちのための基金を作りたいと思っています。

今日は久々に旧友と話した。中学からの友達で毎年その子の誕生日におめでとうとLINEしている。久々に話そうよということで電話した。ノーベル賞を獲りたいといったら「そこまでの才能はない、自惚れるな」といってもらえた。とても信頼できる友達だ。

進路に悩んでいて、そのことも相談した。彼のアドバイスはとても良かった。冷静な視点があった。外から見ると滑稽なことがたくさんある。外から視ることは難しい、人生は主観だから必要ないかもしれないけど。あと一ヶ月ほどで決めなければならない。決める直前にまた電話しますと言った。

思い立って今日からダイエットをすることにした。三年前に入院で絶飲食になったときは2周間で7キロ痩せてラッキーだった。絶食中は本当に食べ物のことで頭がいっぱいだった。特に食べたかったものは、焼き鮭と白いご飯だった。

大学一年生の夏にも一度ダイエットをした。部活動が忙しかったので飯を抜いていた。空腹でも暇じゃなければそこまで気にならなかった。一ヶ月で5キロ近く痩せたような気がする。眼光鋭い女性の先輩に「その痩せ方は癌だよ」と言われた。いつも言ってる美容院で「髪が細くなったね」と言われたので、帰りにワカメを1トン買って帰って、ダイエットは呆気なく終わった。

僕は学ばない人間なので、食事の前は無限に食べられるわと毎回息巻いてしまう。ラーメン屋では必ず大盛りにしてしまうが、満腹すぎて毎度気持ち悪くなる。並盛の方が後味がいい。何事も適量がだいじ。「大盛りはやめようね、足りなかったら替え玉頼めばいいよ」と言ってくれる人と結婚したい。これが真の優しさである。

犬派、猫派と対立構造を煽るのはよろしくない。猫も犬も信じられないほど美しい魂の器だ。ただ最近思ったのは犬派の人間は猫っぽくて、猫派の人間は犬っぽいということだ。僕は猫が好きなので犬派の人間の方が好きだが、犬派の人間は犬の方が好きで、僕は猫が好きなので、ねじれの位置にある。

無人島になにか一つ持っていくなら僕は食料のいっぱい入ったリュックを背負った猫をつれていく。猫と星空を見ながら死ぬのは悪くないだろう。天国の入管も猫と一緒に並びたい。僕が猫の分の整理券も持ってあげる。

人に言われた嫌な言葉はなかなか消えずに残るけれど、言われて嬉しかった言葉も思い出してほくそ笑むために忘却曲線に乗らずにいつまでも覚えている。

そろそろステーキを食べる時期だ。焼き肉ではなくステーキを。なぜなら人は野生の一部だからである。我々人類の最初のご馳走はステーキだ。

大学一年生の頃、嘘の日記を書いていた。その中に人間と動物の違いは歯を磨くことだと近所の歯医者さんは言っていたと書いてあった。そのことを後輩に伝えると、「歯を磨く猿がいます」と言われた。調べてみるとカニクイザルというお猿さんが人間の髪の毛を束ねてデンタルフロスのように使っているそうだ。これは「歯を磨く」と言えるだろうか?否、いえない。確かにフロスの重要性は近年かなり強調されているけれど、歯ブラシで磨くことが一番大事である。「歯を磨くのは人間だけ」である。近所の歯医者さんは正しく、後輩は間違っている。間違いは誰にでもある。他の人なら絶対に許してくれないだろうけど、僕は全然許します。「歯ブラシを使おうね、足りなかったら後でフロスをすればいいよ」と優しく伝えてあげよう。先人として、教育者として、師として。