東京ゴリラについて その2
東京ゴリラについて書かなければなりません。
ひとつまえで東京ゴリラについて一切触れなかったので信頼を失ってしまったかもしれませんが、自分のペースで筆を取らせていただきます。
おばあちゃんはいいことを言いがちです。私が東京から初めて帰ったとき、東京はどうだった?と訊かれませんでした。顔を見ればわかります。
私はひどい顔をしていたに違いありません。
おばあちゃんは「楽しんでね」と言っていました。「せっかくだから」と。
なるほどなと思います。と同時によく言われていることだなとも思います。おばあちゃんは私に楽しんでほしいと思っているはずです。だからいいんです。
電車って妙に暑いです。妙ですよね。ほんとに妙です。みんな黙ってます。妙に静かです。妙です。
東京にはゴリラがいました。東京にはゴリラが居ないと思っていました。ゴリラは私に何も語りませんし、私もゴリラに何も話しません。私は日本語しか話せないですし、話せると伝えるはまた別の話だからです。
私はまた上司にひどく怒られました。同じミスをしてしまいました。同じミスをしたときの絶望感ったらないですね。帰り道に何度も鞄を落としそうになりました。上手く力が入らなくて。
私はコンビニに行きました。キャラメルなんとかなんとかみたいな甘い飲み物を買いました。とびっきり甘くないと多分味はしないんだろうと予測した上です。食べ物は買いませんでした。食道も乗り気ではなかったのです。
私は森に行きました。夏でした。夕方っぽさを意識した鳴き方の蝉がいっぱいいました。私はその森でゴリラに会いました。ゴリラは翠色のボトルを握っていました。
ゴリラはウヰスキーを飲んでいました。
ゴリラは上手に瓶から酒を飲んでいるようでした。ゴリラは私の方をチラッと見ました。しかしその目は私を見ていないようです。ただ私から出た光を捉えただけで、私自身について全くもって思考しているようには見えませんでした。
蒸し暑いね、と私はゴリラに聴こえないくらいの声で呟きました。そうすると信じられないくらい涼しくなりました。ビルが巨大な牛乳パックに見えました。森は濃い色のキャベツに見えました。
大きな冷蔵庫の中にいました。地球は大きな冷蔵庫だったのです。私に憤怒する上司は冷凍庫で固まっています。大好きなおばあちゃんは水羊羹の上で編み物をしています。
地球の真ん中でゴリラはウヰスキーを飲んでいます。理解できないことが沢山あります。私に説教をしている上司の様はウヰスキーを飲むゴリラに似ています。
デスクに山積みの仕事たちも、ウヰスキーを飲むゴリラのような形をしています。ふと思い出させる苦々しい学生時代の記憶の輪郭はウヰスキーを飲むゴリラそのものです。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。
ゴリラはもう私のことを全く気にかけていません。
沢山の不思議に囲まれて生きています。沢山の不思議たちは私の知性を越えています。
大きな冷蔵庫の外はきっとめちゃめちゃ暑いのだと思います。
人は死んだらまた別の冷蔵庫に行きます、と冷蔵庫の外から声がしたような気がしました。私は帰ることにしました。振り返ったらもうゴリラはいなくなっているでしょう。
でも明日からまた沢山のウヰスキーゴリラに会えるわけです。涼しい顔でゴリラの持つ瓶に映る景色を眺めていれば、水羊羹の上を跳ねてお家に帰れることでしょう。
東京には沢山のゴリラがいます。さよなら。