おすしブログ

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死なんために

死なないために何ができるか、これは大きな宿題である。宿題ってなんか嫌な感じふがする。それは提出しなければいけないからであろう。提出したら評価される。なんで評価されなきゃいけないんだ。小生はそう思っていました。数字で一喜一憂なんてしたくねぇんだ。俺は天国に行っていい暮らしをするんだ。ボーリング場は投げ放題で、コロナビールは飲み放題。倒れたピンは水々しく弾け飛んで、ストライク連発。ガーターなんて絶対なし。ガーターが悪いなんてことはない。その時俺はガーターの気分じゃないというだけ。支払いはレインボークレジットカードで。使えば使うほど金が増える。 地球とか宇宙とかすぐに持ち出してしまう。まわりに天国の存在を信じていない人が多い。それはみんなが俺より強いからだろうか。だとしたら悲しい。俺は覚せい剤に手を出してしまった、売れないミュージシャンの気分だ。社会に復讐してやるってフルーツナイフ持って最寄りの地下鉄に向かうのか。個性を大事にしようってことで、追い込まれた無敵の人は他殺に走るのだろうか。人に殺されるときなにを思うのだろうか。脳は最後まで何かを味わっているのだろうか。完全に未知の世界。脳は1000×1000のマスでそれぞれのマスを1000種類の色で塗りつぶすことができる。塗らないこともできる。絶対に全パターンを網羅することはできない。そして全く見たことのない配色が無数残っていると、死ぬ間際まで直感的にわかるはずだ。 結果として個性はなかなか社会では生きない、活きない。自分の欲望にしたがってダンジョンを進んでいくと自分が行きたい場所に行けなかったりする。自分が行きたいところにむかっていると、道中で自分の欲が満たされていないことに気づく。完璧主義は心の癌で、今のとことろ有効な分子標的薬は見つかっていない。シンプルに快楽が栄養点滴であろう。米粒一つで3秒間美味いと思えれば、人生はあまりにも短い。心は完全に消灯できないが、豆電球くらいには省エネにできるんじゃないか。何個かスイッチがついていて、特定の順序でスイッチを押していけば豆電球状態にできる。説明書はどこにもない。実験である。情報情報情報。怒れる上司は怒ることでやはり一縷の快楽を得ているだろう。それを許せないとリーマンはきつい。でもその一点において上司の怒りは純度100パーセントではないから、自由に値段をつけて切り捨てていい。値段は自分の心の状態と相談だ。 脳に電気刺激を与えて鬱を治療しようという話、どう思います。そういう単純化に救われる人もいるだろう。俺の脳みそに1万本のまち針を刺して、ランナーズハイで仕事をさせてくれ。ドクター、お願いします。マクドナルドと完全栄養食品、コラボしてね。死なないためにできることを教えてくれ。君もなかないいのを隠し持ってるだろうに。