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猫は何のために生きているの?

 

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はかわいい。愛おしい。生命の素晴らしさを感じる。ニャアと鳴くだけで尊い。ご飯を食べているところも良い。

猫の言葉はわからない。猫もおそらく人間の言葉をわかっていない。もし言葉が通じたら、可愛さ半減なのかもしれない。なにを言っているか知らないけど、「飯くれ」「触るな」「あっちいけ」と猫が言うと腹を立てる人もいるかもしれない。人間は勝手に懐いてると言うけれど、猫が「懐いてないよ」って言ったらやり場のない気持ちになる。人間が都合よく猫を解釈できるから現状がよろしいのだろう。ポジティブシンキングが育まれているかもしれない、猫様によって。

しかし同時に猫の深い悲しみを見過ごしているのではと不安になる時がある。猫は一日の大半を寝て過ごし、起きている間は食事トイレを除けば、目を開けてじーっとしている。それは人間の膝の上だったり、ソファだったり、部屋の隅っこだったりするわけだけれど。もし人間が同じように過ごすことになったら長くは保たないだろう。何もしない時間に耐えられないはずだ。だから猫を見ていると心配になる。見知らぬ動物しかいない大きな箱の中で、見知らぬ動物は独自の言語話している。自分だけ姿形が違って声を上げても意味は通じない。恐怖。

猫は表情が乏しい。眠たそうか否かといった感じ。ただ単に私の観察眼が乏しいということかもしれないが。うちの猫は悲しげな顔をしている。時折、猫が絶望しているんじゃないか、と猛烈な不安に駆られる。猫には愛情を持って接している。が、しかしそれは猫次元ではノイズに変換されているかもしれない。だとしたら私は罪を冒している。私は断罪されるべき人間。アビューズなのかもしれない。恐怖。

心の中で冷や汗が流れてくる。そしてとても悲しくなる。心が痛む。猫に謝る。猫は何も言わない。通じない。行動で示そうと頭を撫でると、たまに噛み付いてくる。八方塞がり。猫に気持ちを伝える手段がない!

ただ猫に気持ちが伝わってないと言い切ることもできない。それは確かめようがない。シュレディンガーのなんとかというやつか。この曖昧さを楽しむことができる。ま、どっちでもいっかと言える世界がどこかにないと窒息してしまう。生肉コーナーで胸肉と腿肉どちらを買うか5分ほど考える。どちらにも良さがあるので、結果はどっちでもいいのだ。

そして絶望の渦中にいる猫、ただひたすらじっと起きている猫を見て、何のために生きているの?と思ってしまう。これはブーメランクエスチョン。何のために生きてるのかは人間も知らない。生命がぽんと与えられ生きている。本能的に食べようとして寝ようとして子孫を残さそうとしている。生きるように体が動く。だから統計的には生命は存続するように頑張っているように見える。

こんな話をきいたことがある。宇宙はエントロピー(乱雑さ)が増大するようにできている。最終的には平衡状態になり、宇宙はぴたりと止まってしまう。エントロピー増大の法則とは、「万物は、自然のままにほっておくと、そのエントロピーは常に増大し続け、外から故意に仕事を加えてやらない限り、そのエントロピーを減らことはできない」(引用)というものである。

部屋が散らかってる状態はエントロピーが高い、整理整頓された部屋はエントロピーが低い。人間はエントロピーが低いものを求める。人間を牢屋に入れて放っておくと死んでしまう。エントロピーが増大していき、体は朽ち果て大気に離散していき、ほぼ平衡状態に近づく。外から仕事を加えないと「死=エントロピー増大状態」が待っている。食事して排泄することにより体内のエントロピーが上昇することを止めている。体内のシステムを整頓できれば、エントロピーは下がったことになる。例えば肉体的な成長に伴い、効率的な消化吸収ができるようになれば、エントロピーは下がる。

精神的な面でも同じことが言える。エントロピーが高い環境では不安な気持ちになる。知らない人が沢山いる環境はしんどい。ある人と親密になっていくことはエントロピーを下げていくことになる。一般的に家族や恋人はエントロピーが低い。人間はエントロピーが低い状態を求めている。人間は情報を求める。情報は心のエントロピーを下げるのに役立つ。自分から見た世界を整理して理解することは心のエントロピーを下げることにつながるからだ。さらにエントロピーが低い精神状態というのはいわゆる「悟り」状態とも言える。人間は一生を山に例えたり、なんかに例えたらしがちだが、これもエントロピー下げるためと言える。いまこの文章を書いているのも心のエントロピーを下げるためなのだ。

そう考えると猫の心のエントロピーは明らかに人間の心のエントロピーよりも低い。猫は人間にとって「エントロピーを低く保っている存在」であり、憧れる対象になってしまうのではないだろうか。

人間の大半は人を好きになって愛し合う。しかしそのさなかでエントロピー増大と戦う。嫌な部分が目についたり、すれ違いが起きたり、喧嘩したり、エントロピーは隙を見て増大しようとする。人間はそれに抗うけれど、最終的に2人は遠く離れてしまうこともある。そうなるとたいてい心のエントロピーは爆増して、心の中はぐちゃぐちゃになる。エントロピーに抗うことに疲れて、死んでしまいたいとさえ思う。

人間にとってエントロピーが低い環境は大切なのだ。エントロピーが増大するリスクが低い状況を確保して置かなかればならない。エントロピーを低く保つことは結局「死」から遠ざかることなのではないだろうか。その点で「悟り」と「死」は近いようで遠い存在な気がする。

ある本にこういう旨のことが記されていた。つまり人間はエントロピーを下げたり、保ったりして長く生きようとしている。これは結果的に宇宙全体のエントロピー増大を手伝っている。生命活動はエントロピー増大を加速させる。だから宇宙は生命を作ったと。難しいけれど、簡単に解釈するとこうだ。人間は結局部屋を散らかす。憎しみを持つ。争う。ウイルスは生命活動の弱いものを淘汰する。弱いもののエントロピーをMaxにして平衡にしていく。残った人間は騒ぎたてる。まとまることはなく宇宙はエントロピーを増大させながら、宇宙がぴたりと止まる瞬間まで走り続けていく。

猫はエントロピー増大を阻止するべく、平衡宇宙目前からタイムスリップしてきた救世主なのかもしれない。ニャーメン。