おすしブログ

お寿司ブログではないです

堀北真希は今何をしているんだろう。鏡は何色なんだろう?(緑色という説がある)ラーメン屋やってみたい。美味しそうにみんなに食べて欲しい。もし住職になったら満腹寺というお寺を建てたい。満福寺は沢山あった。お寺で朝食バイキングでもやりたい。非課税になりたい。砂漠で水風呂に入りたい。北極で湯船につかりたい。でかいカバの背中で麻雀したい。小さい象を膝に乗せて、居眠りしたい。10秒で全身が清潔になる電話ボックスみたいなシャワールームを家に置きたい。13秒で乾くドライヤーが欲しい。蛇口を捻ったらほうじ茶が出てきて欲しい

 

 

 

無文

ChatGPTを使って後輩にドラムを辞めさせてみる

「ドラムと酒しか趣味がない26歳独身医師の高木くんに50万くらいする機械式時計を買いたいと思わせるような文章を書いてください。」

 

AI

「高木くん、君の日々の頑張り、そしてそれぞれの患者への丁寧な対応にはいつも感動させられています。お仕事以外ではドラムを叩き、酒を楽しむことでリラックスしている君の姿を見ていると、心からリスペクトしているよ。

そんな君に、ぴったりのアイテムを見つけたんだ。それは、50万円ほどする機械式の時計。決して安くはないけれど、君のように妥協を許さない人にこそ手にしてほしいと思ったんだ。

この時計は、君が愛するドラムのように、精緻な機構で動き、そして音を奏でる。君が酒を楽しむときには、シンプルで洗練されたそのデザインが、君の趣味の一つと相まって素晴らしい雰囲気を醸し出すことだろう。

君がこの時計を手にすれば、その重みが君の手首に語りかけてくるだろう。「私たちは、妥協せずに自分の道を突き進む人たちのために存在するんだ」と。

もちろん、君がこの時計を手に入れることで何かが変わるわけではない。だって、君はすでに素晴らしい医師で、そして人間なんだから。しかし、君がその時計を見るたびに、自分自身への誓いを新たにすることができるかもしれない。

だから、高木くん、ぜひこの機械式の時計を手に取ってみてほしい。君自身のために、そして君がこれから達成するであろう偉大な成果のために。」

 

ぼく

「高木くんにドラムを辞めさせたいです。説得の文章考えてください」

 

AI

「高木くん、君がドラムを叩く情熱、そして酒に対する洗練された知識を共有してくれて、僕たちは本当に感謝しています。君がこれらの趣味を楽しむ姿を見ることは、僕たちにとっても喜びの一つだよ。

でも、医師としての君の責任やストレスがあることもわかっています。それらは大変なもので、それが君の健康や幸福に影響を与える可能性もある。そう考えると、ドラムを少し手放すことも一つの選択肢かもしれないね。

音楽というのは、演奏者にとってはストレス解消の手段であり、楽しみの一つ。でも、それがあまりにも本格的になると、趣味というよりは仕事のように感じることもあるかもしれない。ドラムは君の大切なパートナーだけど、少し距離を置いてみることで、君自身のライフバランスや健康にもっと注力できる時間が増えるかもしれないよ。

もちろん、これはただの提案で、最終的な決定は君自身が下さなければならない。でも、自分自身の健康や幸せを第一に考えて、最善の選択をすることを心から願っています。」

 

ぼく

「ドラムやめないなら機械式時計を買った方がいいよって流れに持っていってください」

 

AI

「高木くん、君の情熱を見ていると、そのドラムという趣味は君の一部となっていることがわかるよ。それが君をユニークにし、君を君たらしい存在にしているのさ。だから、そんな大切な趣味を辞めることを提案するのは難しいね。

その代わり、どうしたら君のライフスタイルを更に豊かにできるか考えてみたんだ。ドラムと酒、それぞれが君の人生に色を加えていることは間違いない。でも、その他にも新たな何かが加わると、さらに生活が楽しくなると思うんだ。

そこで考えたのが、高級な機械式時計を手に入れること。50万円ほどするものだけど、それが君の人生に新たな価値をもたらすこと間違いない。なぜなら、そういった時計は単なる時間を知る道具ではなく、芸術作品、技術の集大成、そしてステータスシンボルでもあるからだ。

君がそんな時計を手にすれば、その精巧な内部機構を見るたびに、生物学的な視点からその美しさや複雑さに感嘆すること間違いないよ。また、ドラムを演奏するときのリズム感と時計の緻密な動きとを重ね合わせてみるのも面白いかもしれないね。そして何より、そんな高級時計を身につけている君自身が、さらに自信を持ち、自分自身に誇りを感じることでしょう。

だから、君がドラムを辞めないなら、高級な機械式時計を買ってみることを強くおすすめするよ。それが君の生活に新たな視点と価値をもたらすこと間違いないからだ。」

 

 

高木くん

「これはなかなか無理がありますね」

 

 

 

ぼく

「高木くんにドラムを辞めないならゴリラの気管挿管をするように説得してください」

 

AI

「高木くん、話があるんだ。ドラムに熱中するのはすごく理解できるよ。リズムに合わせてスティックを振る感じ、音楽の一部になる喜び。でも、一緒に仕事をしていて気がついたんだけど、あなたにはさらなる可能性があると思うんだ。

あのね、実は最近、私たちのチームがある特別なプロジェクトを引き受けることになったんだ。それはゴリラの気管挿管だよ。いや、本当に。これは一種の挑戦だけど、同時にあなたのためのチャンスでもあるんだ。

ドラムを辞めるとは言っていない。ただ、多少の時間をゴリラの気管挿管の練習に割いてみてはどうだろう?もしあなたがこれをマスターすれば、それはあなたのキャリア、さらには私たちの全体の仕事に大きな影響を与えるだろう。

あなたのテクニック、あなたの手つき、そしてあなたの集中力、それらはすべてこの新たな挑戦に役立つだろう。そして、こうした経験を通じて、あなた自身が成長し、新たな視点を得ることができるはずだ。

どうだろう、高木くん。もしドラムを少しだけ休んで、この新たな挑戦に挑む勇気があるなら、あなたは私たちのチームにとって、そしてあなた自身にとって、何か本当に特別なものを達成することができるはずだよ」

 

 

高木「滅茶苦茶です」

 

Fin

 

だから1人レストランには行かない

例えば1人でレストランに行き、透明なゼリーが出てきたとする。ひとくち食べてみると美味しいのだが、何味かがわからない。確かに果物っぽくて、食べたことある味。透明だからマスカットか?と思いつつも、そうではないのはわかる。店員さんを呼んで、「これを作ったひとを呼んでくれ」という勇気は無い。なんだろうなと思いながら完食する。レジで支払いするときが最後のチャンスだが、発した言葉は「レシート要りません」だけ。店を出てとぼとぼ歩きながら、頭の片隅にゼリー状のはてなマークがぼよんぼよんしている。

私は信号が赤になっていることに気付かず、車に轢かれそうになる。私は改札にテレフォンカードをかざしてしまう。私は反対向きの女性専用車両に逆立ちで乗り込んでしまう。

口の中はwash outされて、味は記憶のなかだけで生きている。はてなゼリーを大きる膨らみ、頭痛がしてくる。女子高生二人組が並んで座りたいためか、僕に「詰めてもらえますか?」と聞いてきても、「マスカットではないんです」と言ってさらに足を広げてしまう始末だ。

満身創痍で自宅マンションに辿り着き、エレベーターに乗って10分くらいじっとしていると「目的階のボタンを教えてください」とアナウンスされ、2階を押して、降りて10階まで階段で行き、エレベーターで1階さがって、パラグライダーで向かいのマンションの6階までジャンプする。

ドアの前で鍵がないことに気づく。しまった、鍵を自宅に忘れたままででしまった。私は頭を抱えて、膝も抱えて、腰も抱えて、しまいには両足首を抱えて、15センチ中に浮いた状態で、宇宙を貫く真理の数式に思いを馳せた。A4サイズの紙に中3女子くらい小さい字で書いて8枚は必要な数式。そこにあらゆる項を代入することで、大抵のことは導き出せるはずだ。私はx=昼食の透明なゼリーを代入し、y≠マスカットとして計算を始めた。見回りに来た数学の先生が落ちた消しゴムを拾ってくれた。夢中になっていて気付かなかった。

無慈悲にも終業のチャイムがなり、ペンを置いて答案用紙を裏返すように言われた。私はふーっとため息をついて、自分の名前がちゃんと答案用紙に書かれていることだけを確認し、後ろから紙を受け取って前に回した。

私はそこそこ自信があったので汗を拭いて、涼しげな顔で座っていた。いかにも馬鹿そうな友達が、「まじでむずかったなー」というので、そうか???という顔をしつつ、「そうか??」と声に出した。一馬身離れたところにいる女子にギリギリ聴こえるデシベルで。

女子は答え合わせで盛り上がっている。やれやれと思いながら耳を澄ましていると、「梅ゼリーだよね」と声が聞こえてきて、私はびっくり仰天して、椅子から転げ落ちて、頭を打って、薄れゆく意識の中で、口の中に梅の風味が広がっていくのを感じたのであった。

包丁

何かを成すために必要なエネルギーを得るために、またエネルギーが必要という、古典的な笑い話のような。服屋に着ていく服がない。眼鏡を探す眼鏡がない。投資する金がない。部屋でじっとしていると僕以外の人間がせっせと塵を積み上げて、山を築いているような気がして、居ても立っても居られない気分になるのだけれど、居ても立っても居られなくて動き出すほどのエネルギーがないで、居ても立っても居られないまま居て座っている。

数十年前の情景を思い浮かべて暇を潰している。祖父は畑仕事で手の皮は厚く、黒ずんでいた。不器用そうに見えて、不器用そうに包丁を扱うのだが、一度も指は切らなかった。刃が入るマージンが少しくらいはありそうな皮膚で、手袋をしているみたいな安心感があった。祖父の作る味噌汁は具がいちいち大きすぎるのと味噌の濃さが一定しなくて、なんとも評価し難いものだった。ときどき葉野菜の茎が大きく残っていて、嫌な感じだった。残していいか、と聞くと祖母はだめだ、と言った。

反対に祖母の包丁さばきは見事なもので、洗練されていたと子供ながらに思った。祖母が持つ包丁はいつもに増して切れ味が鋭そうで、細くて白くて皺皺の指を削いでしまわないか心配で見てられなかった。一度親指を切ってしまったことがあったと思うが、僕は子供部屋に戻って昆虫図鑑を眺めてその事実から逃れていた。だからその傷が辿った経過を知らない、というか覚えていない。しかし、昆虫図鑑の表紙のヘラクレスオオカブトは「銀色の鋭利なものと赤色の粘液」と謎のシンギュラリティを持ってしまって、あまり開かなくなってしまった。それ以来、かどうかは定かではないが、ときどき鋭い刃をふと想起して、背筋が時々寒くなるのだった。包丁を見るたび、刃が白い肌に音を立てずに入っていくアニメーションを嫌々ながら思い描いてしまう。一種の強迫観念のようなもので、おそらく皆も何かしらあるだろうと思う。

町中自転車レースの最中に後輪を自動車に引かれて宙を舞った友達。僕は彼より1馬身先に居たのでドンという音とタイヤの擦れる金切り音で振り返って、レースがノーコンテストになったことを知る。ドライバーは人の良さそうなオバさんで、彼の家にコオロギを持ってきた(今思うと子供を轢いた人が持ってきた昆虫なんて、と思う)。玄関に設置された虫かごからりんりんりんと聞こえた。か細い鈴の音と、人を轢く音が僕の中ではリンクしている。コオロギが大量に飼育されている宗教施設にいったことがある(詳細は控えるがほんとうの話だ)。指導者の話を聞きながら、りんりんりんとそこそこの音量で聞こえてくる。指導者はコオロギを交えた冗談を言って小笑いをとっていた。笑い声は虫の音にかき消されるほどで、静かな空間じゃなくてよかったと茶を啜りながら思った。ここまで書いていてコオロギと鈴虫を混同していることに気づいたが、僕は鈴虫のこともコオロギと呼んでいるということで手打ちにしてほしい。

僕は包丁を見るたびになんと恐ろしい形だ、と思う。刃にはエネルギーがあるように思う。どんなにそっと近づいても、刃はすうっと体の中に入ってきそうな気がする。僕は職場ではそういう人間になりたい。上司に小言を言われないように。コオロギの大群が悪い奴らを訪問してくれるよう。

歯磨猿?

猫の写真家(なんて素晴らしい職業)として高名な岩合さんは「人間も野生の一部であるということを思い出させてくれる一番身近な存在が猫だ」(原文ママじゃない)と言っていた。なんと含蓄のある言葉。僕も猫の写真家になりたいな。

芸術(定義はさておき)に触れるとなんだかやる気が出ます。なんだか生きる活力が湧いてきたなと変だなと思って周りをよく見ると芸術が転がっているパターンも多いです。芸術的な人間を天才と呼んでいますが、久々に文章を書く気になるのも天才と巡り会えたからということです。自分勝手ですが天才たちには幸せになってほしいと思います。天才たちのための基金を作りたいと思っています。

今日は久々に旧友と話した。中学からの友達で毎年その子の誕生日におめでとうとLINEしている。久々に話そうよということで電話した。ノーベル賞を獲りたいといったら「そこまでの才能はない、自惚れるな」といってもらえた。とても信頼できる友達だ。

進路に悩んでいて、そのことも相談した。彼のアドバイスはとても良かった。冷静な視点があった。外から見ると滑稽なことがたくさんある。外から視ることは難しい、人生は主観だから必要ないかもしれないけど。あと一ヶ月ほどで決めなければならない。決める直前にまた電話しますと言った。

思い立って今日からダイエットをすることにした。三年前に入院で絶飲食になったときは2周間で7キロ痩せてラッキーだった。絶食中は本当に食べ物のことで頭がいっぱいだった。特に食べたかったものは、焼き鮭と白いご飯だった。

大学一年生の夏にも一度ダイエットをした。部活動が忙しかったので飯を抜いていた。空腹でも暇じゃなければそこまで気にならなかった。一ヶ月で5キロ近く痩せたような気がする。眼光鋭い女性の先輩に「その痩せ方は癌だよ」と言われた。いつも言ってる美容院で「髪が細くなったね」と言われたので、帰りにワカメを1トン買って帰って、ダイエットは呆気なく終わった。

僕は学ばない人間なので、食事の前は無限に食べられるわと毎回息巻いてしまう。ラーメン屋では必ず大盛りにしてしまうが、満腹すぎて毎度気持ち悪くなる。並盛の方が後味がいい。何事も適量がだいじ。「大盛りはやめようね、足りなかったら替え玉頼めばいいよ」と言ってくれる人と結婚したい。これが真の優しさである。

犬派、猫派と対立構造を煽るのはよろしくない。猫も犬も信じられないほど美しい魂の器だ。ただ最近思ったのは犬派の人間は猫っぽくて、猫派の人間は犬っぽいということだ。僕は猫が好きなので犬派の人間の方が好きだが、犬派の人間は犬の方が好きで、僕は猫が好きなので、ねじれの位置にある。

無人島になにか一つ持っていくなら僕は食料のいっぱい入ったリュックを背負った猫をつれていく。猫と星空を見ながら死ぬのは悪くないだろう。天国の入管も猫と一緒に並びたい。僕が猫の分の整理券も持ってあげる。

人に言われた嫌な言葉はなかなか消えずに残るけれど、言われて嬉しかった言葉も思い出してほくそ笑むために忘却曲線に乗らずにいつまでも覚えている。

そろそろステーキを食べる時期だ。焼き肉ではなくステーキを。なぜなら人は野生の一部だからである。我々人類の最初のご馳走はステーキだ。

大学一年生の頃、嘘の日記を書いていた。その中に人間と動物の違いは歯を磨くことだと近所の歯医者さんは言っていたと書いてあった。そのことを後輩に伝えると、「歯を磨く猿がいます」と言われた。調べてみるとカニクイザルというお猿さんが人間の髪の毛を束ねてデンタルフロスのように使っているそうだ。これは「歯を磨く」と言えるだろうか?否、いえない。確かにフロスの重要性は近年かなり強調されているけれど、歯ブラシで磨くことが一番大事である。「歯を磨くのは人間だけ」である。近所の歯医者さんは正しく、後輩は間違っている。間違いは誰にでもある。他の人なら絶対に許してくれないだろうけど、僕は全然許します。「歯ブラシを使おうね、足りなかったら後でフロスをすればいいよ」と優しく伝えてあげよう。先人として、教育者として、師として。

 

 

 

おばけが出たら

1ヶ月間だけ新しい病院で働く。

山と山に囲まれた町。夜はとても暗い。初日は天気が悪かった。霧のように細かい雨が降って、ときどき風が強く吹いていた。

正面玄関から入って僕はおろおろして、見兼ねた職員が僕を医療事務課に案内して、医療事務課でまたおろおろしていたら医療事務課の人も首を傾げていて気まずかった。そこで医療事務課のおばさんはかけるべきところに電話をしてくれて、会うべき人が僕を迎えにきてくれた。まるで迷子の仔猫になった気分で、迎えに来てくれたお姉さんは制帽を被ったダックスフンドに見えた。

街は暗いが、タクシーの運転手も本屋、ドラッグストアの会計もみんな優しかった。みんなとても丁寧だった。ビジネスホテルの夜にフロントに、明日タクシーを手配してほしいと言っただけなのに、10万円あげますと言ったかのごとく歓迎された。タクシーは言った時間の5分前に来た。僕はせっかちなので15分前から待っていた。

ホテルのフロントで、隣にあるレストランのドリンク一杯無料券をもらった。せっかくなので行ってみることにして生ビールをご馳走になった。一人で外食したことがほとんどない。片手で数えられるほど。一人で外で酒を飲んだのは人生で初めてだった。美味しいと思えなかった。今後酒を一人で飲むことはないだろう。

田舎の病院だから夜勤をしている人が少ないため、夜は本当に静か。救急車もそんなには来ない。僕は病院の当直医が泊まる四畳半ほどの部屋で寝泊まりする。テレビと冷蔵庫とベッドがあって、机がない。ベッドの布団は明らかに薄っぺらくて暖房がなければ本州の人間は皆死んでしまうだろう。暖房をかけると部屋はとてつもなく乾燥していき、鼻腔粘膜が痛くなってくる。びしゃびしゃのタオルを2枚ハンガーにかけて部屋の対角線に吊るしたが、気休めにしかならない。早く帰りたい、とシンプルに思う。

田舎の病院特有のクリーム色の内装。黄ばんでるのだろうか。ピンクや水色が独特のクリーミーさがある。わかるだろうか、あの昭和感のある質感。年々、彩度が落ちていったのか、それとも建設当時の最先端をいっていたのか。

なんともお化けがでそうな雰囲気がある。階段は暗くて、病棟も暗い。そして当直室のような人が頻繁に出入りしない端っこは真っ暗だ。小学生の頃はお化けを異常に恐れていた。そしてお化けの夢をよく見た。寝相の悪かった僕は、冬に布団を蹴り飛ばして凍えていて、そういう時にしっかり悪夢を見た。ホラー作家の巨匠になれるんじゃないかと思うくらい、絶妙に怖い夢をみた。それはシンプルにお化けが襲ってくるといったものではなく、人の異常なる憤怒や豹変といった、心に焼き付くタイプの妙なリアリティがあった。時にシンプルに日本人形のようなお化けが廊下に立っている夢を見たことがあった。大抵悪夢をみたら僕はトイレに行って用を足して戻ってきて寝る。膀胱を空にすることが意外と重要であった。しかしトイレに行くまでの廊下に日本人形お化け少女が立っていたので、僕はトイレに行けず夜を明かすことになる。鳥がさえずり、新聞配達のカブのエンジン音が聞こえた時、安堵に胸を撫で下ろして、ようやく眠ることができた。

いつのまにかお化けに対する苦手意識は段々と薄れていった。もちろん今でも怖いけれど、お化けが我々を怖がらせようと思っているかどうかが大事なのだ。お化けと対話できる可能性があれば、それはそれで貴重な経験になるかもしれない。お化けが出たらまずすべきことは、叫ぶことでも恐怖に固まることでも十字を切ることでもない。まず挨拶なのである。こんばんは、はじめまして。えぇ、はじめてじゃないんですか?いつも見てくださってる…ありがとうございます…

死なんために

死なないために何ができるか、これは大きな宿題である。宿題ってなんか嫌な感じふがする。それは提出しなければいけないからであろう。提出したら評価される。なんで評価されなきゃいけないんだ。小生はそう思っていました。数字で一喜一憂なんてしたくねぇんだ。俺は天国に行っていい暮らしをするんだ。ボーリング場は投げ放題で、コロナビールは飲み放題。倒れたピンは水々しく弾け飛んで、ストライク連発。ガーターなんて絶対なし。ガーターが悪いなんてことはない。その時俺はガーターの気分じゃないというだけ。支払いはレインボークレジットカードで。使えば使うほど金が増える。 地球とか宇宙とかすぐに持ち出してしまう。まわりに天国の存在を信じていない人が多い。それはみんなが俺より強いからだろうか。だとしたら悲しい。俺は覚せい剤に手を出してしまった、売れないミュージシャンの気分だ。社会に復讐してやるってフルーツナイフ持って最寄りの地下鉄に向かうのか。個性を大事にしようってことで、追い込まれた無敵の人は他殺に走るのだろうか。人に殺されるときなにを思うのだろうか。脳は最後まで何かを味わっているのだろうか。完全に未知の世界。脳は1000×1000のマスでそれぞれのマスを1000種類の色で塗りつぶすことができる。塗らないこともできる。絶対に全パターンを網羅することはできない。そして全く見たことのない配色が無数残っていると、死ぬ間際まで直感的にわかるはずだ。 結果として個性はなかなか社会では生きない、活きない。自分の欲望にしたがってダンジョンを進んでいくと自分が行きたい場所に行けなかったりする。自分が行きたいところにむかっていると、道中で自分の欲が満たされていないことに気づく。完璧主義は心の癌で、今のとことろ有効な分子標的薬は見つかっていない。シンプルに快楽が栄養点滴であろう。米粒一つで3秒間美味いと思えれば、人生はあまりにも短い。心は完全に消灯できないが、豆電球くらいには省エネにできるんじゃないか。何個かスイッチがついていて、特定の順序でスイッチを押していけば豆電球状態にできる。説明書はどこにもない。実験である。情報情報情報。怒れる上司は怒ることでやはり一縷の快楽を得ているだろう。それを許せないとリーマンはきつい。でもその一点において上司の怒りは純度100パーセントではないから、自由に値段をつけて切り捨てていい。値段は自分の心の状態と相談だ。 脳に電気刺激を与えて鬱を治療しようという話、どう思います。そういう単純化に救われる人もいるだろう。俺の脳みそに1万本のまち針を刺して、ランナーズハイで仕事をさせてくれ。ドクター、お願いします。マクドナルドと完全栄養食品、コラボしてね。死なないためにできることを教えてくれ。君もなかないいのを隠し持ってるだろうに。