おすしブログ

お寿司ブログではないです

宇宙から見た貴方

転載元:インターネット無人果物販売所

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近い未来と遠い過去。 あなた色んなことを考えてきましたね。 たくさんの苦悩があったことでしょう。 社会主義と資本主義どっちがいいのかなって、ドッジボールしながら考えていたら顔面にボールが当たりました。 顔面セーフっていうルールがありました。これは社会主義的だなとメガネの歪みを直しながら思いました。 何だか痛くて涙がでそう。メガネはちょっと歪んでしまった。次の国語の時間に直そう。これは資本主義的だなと思いました。 希望をもって泳ぎました。25mは果てしなく、殺菌効果のある水の中で踠きました。なぜ泳がなければならないのだろう。 私は息継ぎができないので息継ぎをせずに25メートル泳ぎました。酸欠で頭痛がひどくて給食が食べれませんでした。資本主義的だなと思いました。私は見るからにsickな顔をしていたのですが、給食はみんなと同じぶんだけ装われました。社会主義的だなと思いました。あまりの頭痛に私は俯いていました。 ごぼうが皿に乗っていました。私はごぼうに謝りました。社会主義的だなと思いました。しかし我慢して食べました。ポリポリと頭蓋に響きました。資本主義的だな思いました。 そして家に帰ります。ただいまと言いました。そしてそこから私の記憶はありません。たくさんの経験をしました。 あなたもわたしも、あの雲も、この蜘蛛も(殺しますか)。違う星から見ると地球は違う星に似ています。 あなたがこれを読んでいる時、時間が過ぎていきます。哲学者がなぜ偉そうか知りたいですか? 彼らは哲学をすることでサングラスをかけているからです。太陽を眩しいと思うならそれが正解なのです。 幼き日の私は思いました。何かに熱中するのが、世界から目を背け、時間を潰すためだとしたら、何で生まれたんだと。 人生に早送りボタンがあれば、矢印マークが擦り切れるくらい押すのだろうか。 人生を全部味わい尽くすのが、脳味噌ーずの役目なのではないだろうかと。 私は幼かった。私は竹とんぼを恐ろしいと思っていた。竹とんぼ予測不能な方向にしばし飛んでいく。 私はそのたびに誰かの目に刺さることを想像した。もし竹とんぼが誰かの目から光を奪ったとしたら、竹とんぼなんて生まれなければよかった。 そう思いながら、カーテンの隅を握りながら泣いた。鼻歌を歌いながら通り過ぎるおばちゃん自転車ライダーに、心のハンカチで涙を拭いて欲しかった。 何かについて考える時、何かを考えないようにしています。考えないようにした何かが結局人生の主役だったりしてうんざりします。 あなたがここまで読んだ時、私もここまで読んでいます。あなたが生まれたことに関しての情報は宇宙の曲がり角の巨大な(太陽よりも)金庫に保存されています。あなたはその情報を知って、救われるかもしれない、がっかりするかもしれない。そのどちらにせよ、あなたは今ここにいるのです。 ここは無人販売所。あなたは自分が何者か決めてしまいましょう。なぜなら地球人は宇宙の曲がり角まで行けないからです。未来永劫行けません。 なぜなら地球人は立ち入り禁止だからです。なぜって?同じ話です。知った時に何かが起こるわけではありません。 地球にあるものの組みわせがあなたなのです。つまり円周率の中に、貴方の最高最愛のパートナーと運命付けられている人の電話番号があるのです。 宇宙は限りなく無限であるのに対し、地球人の組成は有限なのです。あなたは無限ではない。 有限である。有限的主義である。無限的主義はありうる。 いいですか。宇宙では必ず竹とんぼが生まれますが、地球で竹とんぼが生まれたのは奇跡的なのです。竹とんぼ星(宇宙の曲がり角よりもっと先です)の生命体は地球人で言うところの感涙なうです。これが有限のなせるわざ。 残念ながらいくら無限を分割したって有限にはなれない。これが悔しくて宇宙はときどき、何かを握りしめて泣いているそうです。 有限、有限といいますも、地球人が有限をしることはありません。将棋で10000000000手先を読むことはできない。地球の数学の枠がそうだからです。 いいでしょうか。地球人は有限の中で無限を味わえると言う贅沢な生命なのです。 気色の悪い上司、ひどい痛み、憂鬱な精神、すべて観察に値します。よく見るとすべて無限に見えます。しかし宇宙裁判所がだした結論は有罪ならぬ有限なのです。それだけの話です。 あなたは有限。決めましたか?自分の主義。その主義を脳内で遠くに届くよに唱えてください。主義星人(宇宙のカーブミラー的星)の生命体は歓喜の悲鳴を上げるでしょう。あなたの主義が有限が生み出す、無限主義的な、とうてい味わい尽くすことのできぬものだからです。あなたは宇宙の1000000000000手先を読んでいる。お見事。

目玉焼きもコーヒーも風鈴も消しゴムもサラダも

目玉焼き論争を喫茶店で繰り広げる集団にであった。 何をかけるか、焼き加減、令和で見かけることはなくなった過去の戦争。 コーヒーには砂糖を入れる。ミルクは入れない。 言い争いを好む地球人はほんの少しだけいる。 大きい声を出したいときがある。怒鳴られた経験は誰にでもあるだろうが、その全てが怒鳴られるに値するなんてことは到底ない。 おまえは目玉焼きにケチャップをかけるような人間だからダメなんだ、と怒鳴られるような毎日があらゆる土地に散在している。 怒鳴られたことはすぐ忘れるのが良い、なんて簡単に言う。 忘れられないことも含めての毒性なのだ。 怒鳴ることに刑罰がつく日も近い。人間は損しないことが好きなのだ。

怒らないで聞いてくれる?と言われるとき、怒り方を考えている。 消しゴムを拾ってもらったから恋をする。消しゴム拾われる以前と以後でまるで消し味が変わる。 消し味のベクトルは人によって違うところも興味深い。 筆箱はひとつの惑星である。 私は貴方に一番良いペンを貸す。 私にとって全く大事ではないというような顔をして貸す。 返さなくていいとさえ考えている。 そのペンは駅の文具店が閉店する際に半額セールなので買ったのだ。 お気に入りのお店であった故、その時のレシートを一ヶ月筆箱に残していた。 皺くちゃになって、印字は消えて、ただの紙切れになってゴミ箱に飛び込んだ。 あなたも私も怒らない。これは実は簡単なこと。 そのような空間から空間へ渡り鳥のように移動する。 ライフスタイル。

目玉焼きには何もかけない。何もかけないと決めているわけではない。 本当は醤油をかける。なのに正直に言えない。 君が醤油が大嫌いだったら、後悔する。 後悔しないために沈黙する。 やらずに後悔するより、やって後悔しようなんて言われているけど信じられない。 まるで逆だと思う。君はどう思う? え。。。。?

アイスクリームを食前に食べる星で、食後に少量のサラダが出てきた。 それがなかなか良くて、こっそり地球で試してみる。 感動は薄れてはいるものの悪くはない。 私はその星にお土産として風鈴を持って行った。 文化的交流と言えるだろう。後悔はない。

怒らないから何でも言ってごらんと彼は言う。 少し考える時間が流れる。 風鈴というものが不思議な音をたてている。 私は正直にはなす。 静かな時間が流れる。 私は風鈴の音さえうるさく感じている。 風鈴なんて何のために地球人は作ったのだろう。 彼は大きく息を吸う。 私は口を覆う仕草で、解毒剤を予防的に投与する。 数秒後に風鈴の音はかき消される。 風鈴は静寂を知らせていた。 静かなうちに楽しみなさいという警告。 地球人はなかなか頭がいい。

 

 

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雑感: 第三のテニス

命が2つあったら何をするだろう。なんとなく1つ無駄遣いしてしまいそうな気がする。酔っ払って海に飛び込んでしまうかもしれない。しかし私は賢明だからわかっている。最初から1つしかない命と、2つあって1つ減った命では感じ方は全く違うということを。

電動歯ブラシを買おう!と思ってからちょうど2年半が経った。10年後は電動歯ブラシがスタンダードになっているかも。ソーラー充電できる電動歯ブラシ。洗面所は暗いから無理かな?歯磨きはいつ競技化されるだろう?結構おもしろいと思いますが。子供たちが憧れるbrusher。もちろん電動歯ブラシは競技には使えない。Tour de Franceに電動自転車がないように。

今年の抱負は「自転車を買う」だ。6年乗ったクロスバイクは錆び付いてギアが変わらない。漕ぐたびに低めのモスキート音が鳴る。若者の横を通る時申し訳ない気持ちになる。自転車を買うのは勇気がいる。古い自転車はどこに行くだろう?Pixerで、捨てられた自転車の復讐みたいな映画なかったかな?ないか。

なんか急に寒くなったな。これって地球の自転の軸がちょっと傾いてるだけらしいけど、そんなけでこんなに寒いのか?太陽が24時間営業をやめたら地球はでっかい氷になるのか?宇宙の気温っていくつなん?そもそも真空だから気温でいいの?

調べたらマイナス270℃。絶対零度はマイナス273℃らしい。この3℃はなんやねんな。優しさか?

ゴールキーパーってなんかかっこいいな。一人だけ手を使えるし。僕は幼稚園の頃から目が悪くてメガネをしてたからサッカーに入れてもらえなくてずっと審判でした。イエローカードもレッドカードも持ってないし、オフサイドもファールもとらない審判。ただボールにつられて行ったり来たりするだけ。今となってはいい思い出、ではない。

(合法的に)女子中学生と話す機会があって、部活を訊いたら、「テニスです」と言うので、「硬式、軟式?」と訊いたら「うーん…」と考え込んでいた。「ボールは柔らかい?」と訊いたら、「うーーーん…」と悩んでいました。僕が知らない間に第三のテニスができたんでしょうか。マシュマロを打つテニスができたとか、金属の球のテニスとか。

またまた(合法的に)女子中学生と話す機会があって、「将来の夢は?」と訊いたら「ダンスをやっているのでダンスに関わる仕事をしたいです」と言っていた。ダンサーとは限らないということか。振付師とか?振付師もダンサーか?9年くらいダンスをやっているらしい。中3くらいで習い事やめたくなるけど、ダンス続けようねと根拠lessなことを言いました。人生はダンスだからね。動くだけがダンスじゃない。ピタッと止まっているときもダンス。ダンスは永遠に続くだろう。踊ろう。

下を向いてうがいはできない

銀河並みに広いこのインターネットに垂れ流した文章を誰かが読んでいる。アクセス解析ではそうなっている。もしかしたらhatenablogを盛り上げるためのサクラロボットが足跡をつけてくれただけかもしれない。

日々生きていてインタレスティングを感じているけど結局すぐに忘れていく。それでも26年の積み重ねでインタレスティングは溜まってきたと思う。自分のためにもここにメモしておく。読んだくれてた人はありがとう。コメントください。

 

以下雑感。

猫が好きだ。猫が好きな自分も好きだ。自分にとって猫が好きなことは一種の健康である。酒を渇望せず、不貞行為を望まず、ただ毛の生えた四足歩行を愛でる。人生シンプル化計画の一つ。

 

いつのまにか社会人になって半年以上経っていた。社会人になったといっても正直気分は学生だ。幼さゆえに未だに新鮮に傷ついている。廊下を走って怒られた小学一年生のとき。ああこれが小学校か…と社会の厳しさを痛感したのを覚えている。あの先生は元気だろうか。

僕はあれから数え切れないほどの廊下を走ってきた。廊下は狭いから(危ない)走ると景色が素早く流れてとっても速く走ってるように感じる。まるでソニックザヘッジホッグのように。幅100メートルの廊下を走ったならばまるで悪夢のように前進しない感覚に苛まれるだろう。

夢の中では中々走れない。おねしょをするときは南極のトイレでペンギンと並んでいる夢を見る。寒さは大敵なのだ。ペンギンのトイレと、人間のトイレ、どれほど違うのだろうか。ペンギンのトイレにたどり着いたことはないからわからない。あれは負け確定の演出なのだ。

負けず嫌いは損だなと最近思うようになってきた。勝ち続けるのは無理だとわかったから。みんな強すぎる。小4くらいからあんまり中身が変わってない気もするけど、だいぶ負け慣れたと思う。大学時代はテニスで負けまくった。テニスは割とメンタルスポーツであり、爆発力よりも冷静さである。まぁ負けてもいいかと思えば楽なのだけど、スポーツの神様がそれを許さないのでは?とずっと思っていた。

 

断定しないことが一番大事だ!

 

同僚に手相を見てもらった。結婚線を見てみると18歳と25歳と40歳で結婚するらしい。誰の話をしているのだろう?

服に無限に現れる毛玉たち…毛玉とりを続けていったらいつか服がなくなってしまうではないかと心配になる。

人生で最後まで消しゴムを使い切ったことがあるか?僕はない。消しゴムを使い切ったことないやつの財布の小銭入れにはクシャクシャのレシートが入っている。

 

先週末に熊野古道を15キロくらい歩いた。膝と股関節が悲鳴を上げていた。本当に悲鳴を上げていた。きゃーーーーって。本当に。録音しておけばよかったわ。

 

寝なきゃいけないのでまたあした。

 

雑感

備えあれば憂なしは嘘である。

憂なき状態などあり得ない。

 

〇〇くんは悩みなさそうだね、と先日言われた。これは喜ばしいことである。そんなことないよ、とは言ってみたものの、悩みのプレゼンほど悲しいこともない。人類はみな悩んでいるはずだ。それが現代の人類の最後の連帯感であろう。

 

大の大人に怒りを向けられたとき、それを受け流すことができない。もしここがジャングルだったら棒でしばいてるのに、と思うけれど、これも怒りであり、怒りに怒りをぶつけるのは余計に温度を上げてしまう。

小学生の頃から、いやもっと前から、怒られたら反省をしているフリをしろという了解があったような気がする。眼光のスイッチを切って、10°ほど俯いて、声のトーンを絞って、念のため涙腺の元栓を開けておく。ここまでしていると、感情の方も引っ張られ、悲しさが増す。マスクの下で口角を上げて何とか滑稽にしようとするけど、感情が混乱して不愉快になる。

叩かれた部分は硬く強くなるというが、心はなかなか硬くならない。心は水信玄餅のように透き通っていてフレキシブルである。そしてそれ自体の存在の美しさが癒しになる。ぽよよんと打撃を無効化する心が理想的だ。殴った方の拳が傷つくこともなく、怒りがぷるるんに変換される。

 

芸術家になってなんらかの作品が1000万円くらいで売れたらなと思う。こういうマインドで成功した芸術家はいないんじゃないか。芸術家と呼べないのかもしれない。芸術家を目指す資格が奪われそうな発言でした。

 

ぐちゃぐちゃの絵が2億とか値段がついているのを見ると、勇気づけられる。めちゃくちゃでもいいんだと思える。秩序の中に無秩序あり。自分の中の無秩序にも水やりしておこう。

 

教習所でカーブの曲がり方を教えてくれたのは、金色のロレックスをしたふくよかな強面の教官だった。カーブに入るときはアクセルから足を離し、カーブから出る前にアクセルを踏み込む。そうするとハンドルが勝手に戻ってきてかっこいい。私はそれを何度かやってみて、どうでしょうかと彼を見ると居眠りしていた。そして彼はもう一つ大事なことを教えてくれた。カーブを曲がるときカーブの先を見ろということだ。これは非常に役に立った覚えがある。

カーブとは違って人生において先のことを考えると暗い気持ちになる。幸せは気の持ちようかもしれないが、いわゆるパッケージングされた幸せのセット(これこそハッピーセット)に到達するためにクリアしなければいけないことが多すぎる。

その過程を楽しめなければvery hardであろう。人生はマリオのように楽しめる工夫を与えてくれるわけではない。クッパをぶちのめせば幸せになれるらしいが、クッパに辿り着く前にゲームオーバーになったり、運良くクッパを倒せたとして、クッパなき世界がどれほど素晴らしいかはハテナである。

 

前回の文章にも書いたが、人生は〜から始まる文章は自分に言い聞かせている。Twitterを見ていて、みんなが色んなことを断言しているけど、それを見ていると不安になる。実際断言できることは無いなと思っている。かといって彼らを批判するわけでもない。自分もたくさん断言している。〇〇だと思いますをレポートに多用して、先生に怒られました。「お前がどう思ってるかなんて関係ないんだよ」と言われました。じゃあ猫の何でも屋さんに頼んで書いてもらいますよ、と心の中で捨て台詞を吐いて、「すみません」と伏し目がちに呟きました。

 

文章を書くのが好きだ、人と話すのが好きだ。これは割と間違いないと、最近思えてきた。

職場で「君の好きなことは?」と聞かれたとき、人と話すことですというと、びっくりされる。どんどん喋っていいよ!と心にも無いことを仰る。

誰とでも楽しく喋れる明石家さんま的マインドは持ち合わせていない。楽しく喋れる人とは楽しく喋るというだけだ。

昼休みに同僚とすこしお喋りするのが職場で一番楽しい。昼休みの大切さを実感する。

 

暗いことは書きたく無い。嫌なことを馬鹿馬鹿しく書いて浄化したい。馬鹿馬鹿。ばーか。

 

ノンタイトル

針を刺すときに手が震えてこまる。順調さ、突然失われる。

人生は緊張と緩和の連続で、嫌なことがなければ、居酒屋なんて商売にならない。

嫌なやつが周りにいなければ、小さな優しさに気づくこともない。

人生を語ることの無意味さ、既に気づいている。人生は〜から始まる文章は筆者が自分に言い聞かせている。

自分が得意なことやらないと頭が可笑しくなりそうだったので、文章を書くことにしている。文章に限らず、正解のないものは素敵。カルテに情緒はいらないけど、無機質な文章をずっと書いていると、自分が文章下手だということに気づく。何か伝えたいと思うと、力が入って柔らかく文章は流れていかない。

そして誰にも伝える気のない文章を書く。本当は誰かに伝わって欲しいと思っている。残念ながら理想には絶対に届かない。それもまたおかし、と言い聞かせる。

 

無心で書こう。

ひさしく全速力で走ってない。タイピングが早くなりたい。ダイビングはしたくない。

猫に会いたい。猫は僕のことをどう思っているだろう?漱石もそう考えたに違いない。

うなぎは過大評価、真珠も同じ。恨みはない、遠い存在だから。

道を歩いていると、知らない人がいっぱい歩いている。みんな気楽そうにも、しんどそうにも見える。幸あれ。

大学が懐かしい。気持ちは大学生のままだ。プロじゃない。自分は自分のまま劇的に変わることない。面白いことがかきたいのに、何もない。少し悲しい。嘘を書こう。

 

ヒルの相棒が今朝、大きな声で鳴くから、何事だと思って様子を見に行くと、トーストを丸焦げにしていた。新しいのを焼こうと言ったが、勿体ないと意地を張っている。そもそもアヒルが食パンを焼くなんて知らなかったよ。そりゃ知らないことの方が多いからね。

ジャムはどろどろと不気味だから、色だけは綺麗だ。いちごジャムがあんなに真っ赤なのはにわかに信じられない。赤いリンゴジャムを見かけないのはどうして?ブルーベリージャムはあんなに。。。

でももう一枚焼いた。焦げたパンは捨てた。捨てるときに、少し嫌な気持ちになる。この嫌な気持ちは、負の感情の中では随分マシなほうだ。マスタードが目に入ったとき、まず何をする?絶対にしないことは車の鍵を探すことだ。鍵のかかった車に乗ることはできなけど、鍵のかかったバイクにまたがることはできる。良心的だね。

血の繋がりて何だろう。血が物理的に繋がることはない。血は生まれた瞬間に親離れしている。血は赤、イチゴも赤。神はどっちの色を先に決めたか?

最近、何もないところでつまづく。恥ずかしい。おっと、なんて言ってみたりする。食堂のお味噌汁はしょっぱい。巨大な炊飯器。お盆を持って席を探している人間は無力だ。銃口を向けられたらどうする。撃たれたら嫌だろう、食事が撒き散らされることより。

環境が変わると自分も変わる、変わりたくない方向に向かうとき、逆向きの電車に乗っているような気持ちになる。降りればいい。でも満員電車だからドアまでなかなか辿り着かない。

人の口と鼻が近くにあってよかったね、それぞれ一つずつしかなくてよかったね。マスクひとつで済んでいるんだから。マスクつけてて一番負担なのは耳なんだからね。耳に感謝。

最近耳が遠い。すごく不便だ。イヤホンの音量ひかえめにしているんだけどな。遠い、というけど本当に遠くなってる感覚だ、話が聞き取れないから。聞こえてるふりして笑ってる。うなぎになって、真珠の話を聞いているようだ。いつのまにか現実の話になっている。

日本人はドイツ人と話せないのに、リスと鳥が話せると思っているのなんなんだ?

リスと鳥が話せたら、僕も犬と話せるだろう。何を話そう?何か悩みがありますか?と聞こう。多分同じことで悩んでいる。ワン。

 

 

猫を大事にしろ

水道局に行ってきた。水道局の職員さんたちは、ザ・水道局の職員という感じの格好をしていた。暑そうだった。冷房がすごい効いていた。水色こ掲示物が沢山貼ってあって、水色の服着たひとがいっぱいいて、水族館みたいでした。

気味が悪い系の映画を二日連続で見た。同じ監督。「聖なる鹿殺し」「籠の中の乙女

前者は呪いの話で、実際に誰かが呪いをかけると身体に異変が起こるみたいな話でした。呪いって心理的な面もあるよなって思いました。もしかしたら心理8割くらいかもしれない。病院で検査してもらうシーンも多々あったけど、脳波測定必要じゃないのかって思うシーンがあって気になってしまった。僕が間違ってるかも知れないけど、こういうの気になってしまう。没入感が失われてしまう。こんなこというの野暮だと思うけど、医療系の日本のドラマとかそれで食わず嫌いしている。日本語喋ってると、なんか演技してるなって思ってしまう。実際に細部に気付いてるわけじゃないと思うんだけど、なんか違和感が常にある。だから極力外国語しか見ない。実際どうなんだろうな。日常の会話とかと全然違う気がするんだけどな。話は戻るが、わりと法廷モノが好きだったりするけど、弁護士の人とかがみたら、やれやれって思ったりするのだろうか?医療系の映画より法廷モノのほうが圧倒的に名作が多いイメージなので弁護士にならなくてよかった〜。昔は屁理屈ばっかり言うから、弁護士になれってよく周りに言われました。面白い屁理屈を言おうとしてたんだけどね。弁護士に失礼だと思いますね。

後者の映画は20代くらいの2人の娘と1人の息子を豪邸で一切庭の外に出さずに育ててると言う話。間違った知識を教え込み、外は怖いからでちゃダメって言い続ける。見ていてめちゃめちゃ気持ち悪い。なんでこんなことするんだという。性描写も残虐描写も容赦ない。猫ちゃんをぶっ○すシーンがあったのでマイナス3京点です。頑張って最後まで観て、解説とか調べたけど、「まじで天才だ…」って評してるひとが意外といる。僕にはわからないけど、気持ち悪い映画撮ってくださいって言われたら、これの3不可思議倍気持ち悪いやつ撮れると思う。でも病むと思う。笑える気持ち悪さと笑えない気持ち悪さってなんの違いがあるんだろう。まじで映画監督ってどうやってなれるんだろうって思った。人を深く感動さたり、画面に釘付けにするような映画は撮れないと思うけど、こういうきみわるいな、、どういう発想やねんみたいなやつなら撮れる!って思ってしまう。実際は難しいんだろうけど。

書いてて思ったけど、まじ駄作!クソ映画!って言えないな。なんか褒めてる人もいるしな。今日適性検査を受けて、「自分の意見をはっきり言えますか?」「他人に合わせますか?」みたいな質問が何度も出てきたけど、他人に合わせるYOって回答した。「個性は大事だと思いますか?」って質問には、マジでそう思うYOって回答した。ちょっと矛盾してるかもって思って焦りました。矛盾ばかりしてたらサイコパス認定されるかも知れない。サイコパスも個性でしょうか。自分は審査員とか向いてないな。審査員になることなんて未来永劫ないだろうけど。全部正解で〜す。ってスタンスで〜す。YO!