電車で眠る巨大な猫
大きい猫に感動を覚える。
猫は大きければ大きいほど我々に感動を与える。
それはダブルベッドがシングルベッドよりも優れているのと同じで、娑婆が独房よりカラフルであるのと同じである。
小さい猫が生命の難しさを我々に訴えかけているそばで、大きい猫は我々に死後の世界がいかにふかふかで、それは現世にまで陽光に焼かれたお布団の香りを漂わせているという事実を、惜しげも無く披露している。
日本国では夜に走る電車の中では暗い顔をしなければならないという了解がある。
我々はその了解の優れている点をどこかで感じ取って、スマートフォンの灯で顔を照らしながら一人の世界に入る。
電車の中で誰かが肺が破れそうなくらい大きなくしゃみをしても誰も顔を上げることはない。
だがそのとき私は顔を上げた。
猫が鳴いたのだ。
とても低い声で猫は鳴いた。
巨大な猫が足を折り畳んで餅のように席に座っている。
顔を上げた私に眠たそうな一瞥をくれる。
猫の両となりに座っている日焼けした女子高生と杖を持ったお爺さんは体を傾けて眠っている。
私は猫をじっと見つめたが、猫はすぐに目を逸らし、全く別のことを考えているようだった。
私は眼だけを動かしてほかの乗客が猫に気づいていないか確認した。
3人ほど猫をじっと見つめていた。猫はたしかに存在していたのだ。
電車はほどなくして止まり、扉が開いた。猫はどすんと音を立てて席から降りると、人々の脚を気怠そうに、それでも丁寧にかわしながら下車した。
猫の首ににはPASMOがぶら下がっていた。