当時、小学生向けの科学雑誌のようなものを買ってもらっていた。
付録が豪華な、いわばちょっとした自由研究ができる本である。
いろんな種類の鉱石の標本が付いてきたりして、なかなかワクワクするものであった。
あるとき、おもちゃの顕微鏡が付いてきた時があった。
おもちゃと言っても、虫めがねなんかよりはずっと倍率が高い。
接眼レンズ、対物レンズから成るそれらしい顕微鏡であった。
その号では、さまざな水を採取し、顕微鏡でのぞくというものであった。
水道水に始まり、川の水なども観察するという企画であった。
私は早速川まで自転車を走らせて、川の水を取ってきた。
それをプレパラートに数滴垂らして、顕微鏡を覗き込んだ。
するとなんということだろう。
小さなアヒルが泳いでいるのが見えるではないか。
数匹の小さなアヒルが水面をゆったりと泳いでいる。
にわかに信じがたいが、何度顕微鏡を覗き込んでもアヒルが泳いでいるので、私は小学4年生の姉にどういうことか興奮気味に尋ねた。
すると姉は、
「世界最小のアヒルのコールダックですら、手のひらからはみ出すサイズやぞ。そない小さなアヒルがおらんことくらいわかるやろ、9歳にもなって」
と言い放った。
コールダック
姉に軽くあしらわれた私はもう一度部屋に戻り、顕微鏡を覗き込んだ。
たしかにアヒルは泳いでいた。
これを見れば姉も認めざるを得ないのに、と思ったけれど、スイスイ泳ぐ小さなアヒルを見ていると、自分だけの秘密にしようと思った。
それからだいたい10年経った。
大学生になり、生物学をかじって、そんなアヒルがいるわけないんじゃないかと思い始めた。
じゃあ私が見た小さなアヒルは何だったのだろうか。
そう思うとやるせない気持ちになって、お酒を買ってきて沢山飲んだ。
そしていつの間にか寝てしまった。
私は天体観測をしていた。
美しい女性と、そよ風の吹く草原にいた。
私は望遠鏡を覗いた。
私は月を見ていた。
すると驚いたことに、月の横にアヒルが羽をバタバタさせて飛んでいるではないか。
アヒルは月の半分くらいの大きさで、すぐに月の裏側に隠れてしまった。
私はそのことを、一緒にいた女性に伝えた。
するとその女性は微笑みながら私を力一杯蹴り飛ばした。
そのとき走馬灯が流れた。
そこにはおもちゃの顕微鏡があった。
プレパラートの上の小さなアヒルがどんどん膨らんでいく。
すぐに部屋に入りきらない大きさになり、家を突き破って、小学校の校舎よりも大きく膨らんでいく。
そしてアヒルはどんどん膨らみながら空に風船のように昇っていく。
私はアヒルの作った大きな影にすっぽり入っていた。
「ぼくも連れて行ってくれー」
と私はアヒルに叫んだ。
アヒルは私をシカトして地球から出て行った。